ダンス2000
何年ぶりかの大打撃に、梅雨の雨音と曇天が追い打ちをかけてくる。
さらにこのタイミングで仕事がちょっと暇なものだからいよいよ持て余してる。
文章吐き出す。みじめさよ。叶わなくて良いから呪われたままでよかったのに。煙草は身体によくないよ
フジファブリックについて。
フジファブリックを一番聴いていた時期は中3〜高2、
それ以前の音楽への興味は非常に浅く、疎かった。
母親のお陰で幼稚舎からヤマハピアノ教室に通っていたのでピアノ曲は好きだった(エレクトーンは嫌いだった)合唱コンクールとかで伴奏させてもらうのも好きだった。中学高校と吹奏楽部に所属していて、全く音楽を聴かなかったわけではないけれど、それでもCDをかって聴く、というのはUAと椎名林檎くらい。UAはお世話になっていたピアノの先生(イケメン)が香純ちゃんはなんか好きそうだからってCD焼いてくれた。うれしかった。カラオケは昔から苦手。
中3の頃は男女共学の高校が嫌で嫌で、女子校に行きたかった。
県内、家から通える女子高は偏差値のなかなか高い前橋女子ととても頭の悪いギャルしかいないイメージの残念な女子校の2択。プライドが高かったので当然前橋女子を志望校とし、偏差値をあげることに尽力した。塾通いと夜更かしを覚えた。(田舎のわりに夜遊びはしなかった。夜に1人でコンビニに行くのさえ、ちょっとした悪いことだと思ってた)
夜更かしに身を委ねるなかで、勉強の傍ら、深夜の音楽番組、深夜の映画を流し見するのが何よりの楽しみだった。
バラエティとかドラマも見ていた。濱マイクとか、怪奇大家族とか、ブラックワイドショーとか大好きだったな。。
そこで突然目に入った短いCM、カラーバーが割れるとこから始まって、グレーのトレーナーで表情無く歌うとても健康には見えない男の人が現れて、ボサッとした黒い前髪が目にかかっていて、細くて、、。やたらにカラフルな背景、全力で走る女の子、裏打ちの鍵盤、奇妙な歌い方、声、歌詞、全部がぶわっと一気に入ってきて、。15秒とかかな、CM映像だからたぶんそのくらい。最後にシンプルな細い文字で片仮名で「フジファブリック」 って出て、、 「なんだいまの?」って。当時はすぐに検索できなかったからとにかく心にひっかかったままもう一回さっきの流れないかなって待つしかできない。幸運にも日を跨いで3回くらいそのCMと出会うことはできた。ので、テレビに食いつき気味に小さな文字をちゃんと呼んだら、1st Album now on sale みたいなことが書いてあった。ああこれは神の啓示とかそういったあれだ、私はこの人たちと出会ってしまったんだ。と思ってCDを買った。はじめて自分のお金で、親のいないところで、親の知らないCDを買った。それが1stの「フジファブリック」。バンド名と同名のアルバム。2004年の冬。そうだ、そうだった。2004年だ。10年前か。
とにかく何度も聴いたし、CDデッキのスピカーに耳を押し付けたり、イヤホンも買ってみたり、歌詞カードも隅々まで読んだし、なんというか、夢中。そのころの興味の全部だった。こっそり親のPCを拝借してフジファブリックの公式サイトばかりを眺めて。BBSも書き込んでたな。
TSUTAYAとか新星堂で赤富士通信をごっそり取ってきてた。本当にごっそり。
妄信的にシングル4枚を揃えて、スピーカーで聴いてヘッドホンで聴いて、親もあきれていた。が、受験で無事志望校に合格したのでそこは黙っていただいた。笑
高校に入学して間もなくしてフジファブリックが5枚目のシングルを出した。「虹」カップリングはダンス2000のリメイク。
この曲ではじめて「生で聴いてみたい」っていう気になった。1stは部屋で聴いているだけで満足度が高かったし、あと1STにはインターネットラジオのURLくらいしか載ってなかったのに対し、虹にはCDの歌詞カードの間にツアーの詳細(TOUR RAINBOW OF SUMMER2005)の紙が入っていたのだ。(今考えるとそんな紙一枚で心動かされてしかも行動に至るってすごいこと・・・) そうかバンドって人前でも演奏するのか。それがライブか。みたいにいちいち感動していた。ライブハウスなんて存在も名前もこのときはひとつも知らなかった。
とはいえ群馬から出たことのない、曲がりなりにも箱入り娘だった私は1人で東京に行くなんて、想像もつかなくて、学校もあるし、どうしよう・・・?と思っていたら、なんとその年(2005)の夏休みのちょうど真ん中にROCK IN JAPAN FESTIVAL2005にフジファブリックが出るという。ひたちなか=茨城県、は東京に行くよりもずっと敷居が低く感じたのでしょう。幼なじみのくみちゃんを無理矢理言いくるめて誘い出し、親も「ミスチルが出るんだよ」と言いくるめて、あたかも「くみちゃんとミスチルを見に茨城の海沿いのミュージックフェスに行く」という健全極まりない夏休みの思い出であるかのようにごまかしてお母さんに車を出してもらってRIJに乗り込むことに成功。私の頭は大好きなフジファブリックのことでいっぱいだった。車でライブに行ったのも親公認のうちにライブに行ったのも後にも先にもこの時だけだなあ。
GOING UNDER GROUNDってこのとき売れてたのかな?ハートビートは知ってたし良い曲だと思っていたので一番最初にみたのはGOING UNDER GROUNDだった。そのあとがフジファブリック。レイクステージ、LAKE STAGE。とか意外に覚えてていま驚いてる。初体験だものね。頑張って前のほうにいこうとして、けっこう前のほうで見れた。ぎゅうぎゅうだし周りの人もみんな汗だくでぬるぬるしてたけど、でもライブってこんな感じなんだなあと思った。フジファブリックは、もう眩しくて眩しくて、、あんまり多く語れない。とにかくはじめてフジファブリックを生で見たぞ、っていうのが強い快感だった。人生ではじめて自分の意思で自分のやりたいこと、見たいものを実現させたっていう大きい感動があった。このとき買ったTシャツは今でもとても大事にしてる。
あとはband apart、ビークル(すっごい楽しかった)、シンガーソンガー(cocco細すぎて妖精みたいだった、くるりの岸田さん素敵だった)、ミスチル(裏でZAZENBOYSがやってて、当時はまだZAZEN知らなかったからこれはあとですこし後悔してる。でもミスチルもかっこよかった) などを観た。芝生で座ってken yokoyamaも観た。そのあと一瞬ピザオブデスも聴いたりしてたな。くみちゃんとは今も仲良し。
そんなこんなで。
rokinonjapanとか買うようになっていわゆるロキノン好き女子高校生、アジカンとかエルレガーデンとかストレイテナーとか聴くようになって、そういった音楽が好きな友達もできて、でもだんだん人と同じものを好んでちゃダサイみたいなもやもやにもやもやしてるうちマイナーな方へ、誰も聴いていない私だけが好きなバンドを掘るほうへ、フェスよりも暗くて狭い地下ライブハウスへ、と道を踏み外していき。。多感期まっしぐら、尖っているほうがかっこいい期、そしてART-SCHOOLにドはまる、恋愛にうつつをぬかしだす、ライブハウスばっかり行くようになる、グループイノウ、ネハンベースにはまる、、など。
そうやって歳を取るなかでもフジファブリックは勿論ずっと好きで、2ndの「FAB FOX」が出たときの興奮なんて今でも手に取るように覚えてるし、夜中に親の目を盗んで親のPCを借りて、極寒かつ電気もついてない真っ暗な部屋の中で震えながらネットラジオを聴いていたことも覚えている。
ジョンレノンのトリビュートに参加していればそのCDを買ったし、「スクラップヘブン」の主題歌をやったとあれば映画館まで見に行ったし、蜃気楼めちゃめちゃ良かったからそのシングルも買ったし、「悪夢探偵」のCDが生産限定だと知れば買ったし、東京炎上、大好き。
ライブはそんなに数は行けなかったけれど、それでも、時間とお金の許しがあれば、足を運んだ。交通費も痛いしグッズも馬鹿みたいに買うからお金かかってた。最低賃金650円の高校生アルバイトの給料なんてすぐ消える。懐かしき夏のツアー〜KANAZAWA DAISUKE AID〜 やら日比谷野音ワンマン、新宿LOFTでの遠藤賢司2マン、とか。どんなにいろんなバンドを知っていろんな音楽を聴いてもフジファブリックが一番好きだった。
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ENO 初LIVE
2011.5.7
“ENO presents Chemical Reaction”
出演:ENO/長岡亮介/真夜中のパーティーズ(戸高賢史&伊藤寛之)
@下北沢GARAGE
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sports というバンドは私にとって青春そのもの、とずっと思っている。
はじめて見たのは高崎clubFLEEZEでArt-Schoolのツアーのとき。ビールも飲めない女子高生だった。
それで一目惚れしてしまって即CDを入手。sports見たさに、はじめて群馬から足を伸ばし東京へ。渋谷o-nestへ。
確か15〜6歳くらい。東京を怖れる田舎者だったからこの時相当勇気を振り絞ったと思う。
sports企画でRideのマークとKARENがゲスト。この日のことはとても鮮明に覚えている。
そしてその日から親もドン引きな勢いで足繁くライブに通うようになった。
ツアーで地元に来るとなれば 2,3ヶ月前に予約をし、ひたすら胸をときめかせてライブの日まで繰り返しCDを聴いて予習した。もう夢中だった。
eggmanでのラストライブ後もふとした時にCDを引っ張りだしては聴いたりしていた。
spoetsを聴くと必ず元気になれる。気分が良くなる。胸が熱くなる。
ENO は、そんなex.sports伊藤寛之の新バンド。スポーツ解散後、伊藤さんの動向を知る手段は時折ブログを覗くくらい。
BROKEN BOYのライブは結局一度しか見れなかった。Mayonnaiseも結成後初ライブともう一度見た二回くらいか。。
(余談、去年くらいに 京王井の頭線で伊藤さんを見かけて降りる駅も一緒だったので勢いで話しかけてしまったことがある。あの時の自分は完全に不審者だった。)
とにかく、先日久しぶりに伊藤さんのブログを読んだらENOというバンドを新しく組んだことと、初ライブの記事があったので非常に興奮し、後先考えず即座に予約してしまったのだ。対バンも良かったし。
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GARAGEなんていつぶりか。
まずは40分で5曲(ほぼMC)というゆるゆるのパーティーズ。
最初はちょっとゆるすぎた気もする(昔だったらモノマネとかぐだぐだトークでもキャーキャーとなっていただろうけど)
伊藤さんの生の歌声が久しぶりで嬉しかったり、最後にLow heaven(すごく好きな曲でアートのアルバムの中でもこの曲だけ聴いている時期があったほど好き)聴けたりも嬉しかった。
Low heaven、朝起きたときにヘッドホンで聴くと最高なんだよ…と力説していた覚えがある。あの音たまらないんだよ。
つづいて長岡亮介ソロ(ペトロールズは何度か見ているけどソロは始めて)雰囲気が怖いくらい飄々としてらっしゃる。
長岡さんMCでしきりに「伊藤くんはいい男だよね」と言っていて、心の中でそっすよねー!!!と叫んだ。
憂いを帯びる伊藤さん。
暇なので転換中は本を読みつつハイネケンを飲んだ。
昔GARAGEに来た時は見栄はって買ったものの全部飲みきれなかったものを、今は美味しいと思うなんて。
ハイネケン3本目に突入したところで、お待ちかねのENOが登場。
感動する暇もなく、いきなり一曲目,Brigitte Bardot (myspaceにあがってる超かっこいい曲) http://www.myspace.com/enojp
思わず笑っちゃうくらいかっこいい ぎらぎらのロック
パーティーズと長岡さんの甘美な弾き語りでまったりしていたこのタイミングで、たまらない選曲…ずるい!
伊藤さんが本当に楽しそうで、なんかそれだけで感激した。POLIS Tシャツが懐かしすぎる、、
nude、パズル、なんかのsportsの曲に涙腺を誘われ、sports wear で我慢できず少し泣いた。
なんでsportsの曲はこんなにいちいちかっこよくてうるっと来てしまうのか。
伊藤さんは天才だと思う。eggmanラストライブでもsports wearの歌詞に泣かされた。
「sports wear さよならさ 最後は笑顔でいようぜ」
アンコールでRay of Light、Xanadu。
…震えるほど良い曲。聴きたいのある?と言われて(そりゃもう沢山あるよ!ビリーバーもウォッシングマシーンもラブイズもキックオフも聴きたいよ!あ、でも全部バンドで聴きたいやつだ。うーん。アニマルとか生で聴いたら失神できちゃうんよ。。) とか思いつつ発言はできなかった。
Ray of LightもXanaduもとろけそうなほど良かった。普通に伊藤さんの弾き語りも近々行きたいなと思った。
sportsは本当に今聴いても名曲がたくさんある。伊藤さん天才。さらに、ENOの曲もすごく素敵。
マイスペで散々聴いたせいでほとんど覚えてた。曲そのものも 歌詞もまごう事なき伊藤さんっぽさがあって、本当にずっと聴いていられる良い曲ばっかり。伊藤さん天才。
マイスペにない曲もやってたし、たぶんまだまだ伊藤さんは曲をつくるんだろうなと思って楽しみでならない。
初ライブだけど、早くもまた見たいと思う。続けていってほしい。
弾き語りやその他でも良いけどやっぱり伊藤さんはバンドをやってる時がめちゃめちゃかっこいい。一番かっこいい。
ギターかき鳴らして声張り上げて、っていうのが本当に似合う。
改めて、nudeとパズル最高だった。幸せ。心の底から嬉しかったし笑顔が隠せなかった。
本当に行ってよかった。最高に楽しくて嬉しかった。特典も貰えたし音源も買えた。
恥ずかしながら伊藤さんと写真まで撮らせていただいてしまった(話しかけたら井の頭線で会いましたよねって言われた笑 まさか覚えているだなんて…)
あと菊池さんにセットリストいただいた。嬉しい。。
長々と書いたけれど、やっぱり大好きだ、という話。
ENO、最高 惚れました。 次のライブを心待ちにしています。
最後に大好きなsportsのPV 主婦が頭で皿を割りまくる、という衝撃の内容。
こちらも大好きなAnimalのPV 思春期中学生男子の目が取れ,その目が逃げ続けるという衝撃の内容。